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IWC historyIWCパイロット・ウォッチのすべて 04

当時のCEO、故ギュンター・ブルムラインの指揮下、ヴァルジュー社製キャリバー7750をベースにわずか数週間で完成させ、1992年のバーゼルフェア(旧名)で発表された「パイロット・ウォッチ・ドッペル(ダブル)クロノグラフ」(Ref.IW3711)

当時のCEO、故ギュンター・ブルムラインの指揮下、ヴァルジュー社製キャリバー7750をベースにわずか数週間で完成させ、1992年のバーゼルフェア(旧名)で発表された「パイロット・ウォッチ・ドッペル(ダブル)クロノグラフ」(Ref.IW3711)。その目的はIWCが自動巻きムーブメントとスプリットセコンド・クロノグラフを兼備した、最初の時計会社になることだった。典型的な7750のダイアル・レイアウトで、アラビア数字インデックスの“1”、“10”、“11”の“1”はひげ飾り(セリフ)付き書体だ。


Part.4 1992年 新たな伝説の始まり
―パイロット・ウォッチ復活

 IWCの公式ホームページ『85年の歴史』では、近年のIWCにおけるパイロット・ウォッチの歴史は1992年に始まった、とされている。


 1992年2月、わずか数週間という短期間で、IWCの技術陣はヴァルジュー7750をベースにしたダブルクロノグラフ「パイロット・ウォッチ・ドッペル(ダブル)クロノグラフ」(Ref.IW3711)の開発に成功し、その直後のバーゼルフェア(当時の名称)で発表。この開発は当時IWCのCEOを務めていた故ギュンター・ブルムラインよりIWCの時計職人、フレッド・エーレンスパーガーに指示、その目的はIWCがスプリットセコンド・クロノグラフと自動巻きムーブメントを備えた腕時計を発売した、最初のメーカーになることであった。結果として15個の時計が完成する。


 こうしてIWCパイロット・ウォッチの新たな歴史が始まった。


 なお、この頃から世界のアンティーク市場ではIWCのパイロット・ウォッチの評価が上昇する現象が起こり始める。『IWC PILOT’S WATCHES -FLYING LEGENDS SINCE 1936-』によれば、1980年代のIWCのパイロット・ウォッチの価格はとても控えめなものだった。しかし1990年代に入ると、特に「W.W.W.」と「マーク11」の価格は年を追って確実に上がり続け、2000年を超えた頃には、この値上がり傾向は安定したままで推移する(ちなみに2001年まではドイツマルクだったが2002年にユーロが導入される)。


1994年 「マーク11」の正統派後継機種「マークXII」

 創立125周年を迎えた1993年の翌年(1994年)、IWCは1948年発表の「マーク11」の正統派後継機種「マークXII(註:12)」(Ref.324102)を発表。これは「マーク11」のアップデイトバージョンで、3時のデイト表示窓と6時に“MARK XII AUTOMATIC”が2行で表記された以外は驚くほど前機種のデザインを踏襲、当然ながら世界の時計愛好家の大いなる喜びとなった。


 さらに両者の差を細かく見ると以下のとおりだ。


 12時の三角マークならびに3、6、9、12時のバータイプのオレンジ色の蛍光塗料を廃止。インデックスのアラビア数字“1”、“10”、“11”の“1”の書体が、英国軍式の野太く直棒のような“|”からひげ飾り(セリフ)のある“1”への変更を含め、書体全体が細身に。このモデルのスペックはケース径36mm、超薄型自動巻きムーブメント、キャリバー884(ジャガー・ルクルト製ムーブメントCal.889ベース。直径26.0mm、厚さ3.25mm)搭載。毎時28,800振動数、34石、5姿勢調整済み、パワーリザーブ45時間。秒針停止機構とリューズによる素早いデイト・リセット機能、さらにマーク11と同じく軟鉄性インナーケース採用。5気圧防水。


 なお1994年のバーゼルフェアでは、11連ブレスレットバージョンも発表された。


 また同年には「メカニカル・フリーガー・クロノグラフ」や、ブラックの酸化ジルコニア・セラミックをケースに採用した「フリーガークロノグラフ(パイロット・ウォッチ・クロノグラフ)セラミック」(Ref.IW3705)もリリースされている(世界限定999本)。


 さらに創業130周年の1998年には「パイロット・ウォッチ UTC」(Ref.IW3251)を発表。これは12時の扇型24時式タイムゾーン・インジケーター(3つの時を連続表示)が、センター針の進行あるいは修正中も世界時間を表示。搭載の自動巻きムーブメント、キャリバーA/30710のベースムーブメントはETA社製の2892-A2で、IWCは自社基準に合わせた品質に再製造した。軟鉄製インナーケース装備。


1999年 マークXIIの後継機種「マークXV」


「マークXII」の後継機種は1999年に登場した「マークXV(註:15)」(Ref.IW325307)である。ナンバー“XIII(13)”と“XIV(14)”は、ある諸外国の文化において不運を意味する数字であることを考慮し省略されたらしい。「マークXV」はETA 2892をベースとしたキャリバー37524を搭載。ケース径は前モデルの「マーク XII」より2mmサイズアップの38mm。これは2000年以降顕著となる大型時計のトレンドを意識したものだ。当モデルの後継機「マークXVI(註:16)」(Ref.3255)は2006年に登場し、同型ムーブメントを採用したがケース径はさらに1mmアップし39mmとなる。なお「マークXV」よりベースムーブメントはジャガー・ルクルトではなく、ETA社の“2892-A2”に変更され、IWC内の再構築により“キャリバー37524”と命名された。


 さらに2001年には新たなCEOにジョージ・カーン氏が就任(2017年まで)。時は21世紀に入り、IWCにおけるパイロット・ウォッチの重要性はますます高まりコレクションも拡大・充実。ついにはアメリカ海軍の“あの”航空部隊とのコラボレーションも始まる。





協力:IWC / Special thanks to:IWC



  • 構成・文 / Composition & Text

    田中 克幸 / Katsuyuki Tanaka
    Gressive編集顧問。1960年愛知県名古屋市生まれ。大学卒業後、徳間書店に就職。文芸部を経て1988年「グッズプレス」創刊に携わり、後に編集長に就任。この間、1993年に同社で「世界の本格腕時計大全(後の『TIME SCENE』)を創刊し、2009年まで編集長を務める。同年より「Gressive」に参加。1994年よりスイスを中心としたヨーロッパ各国を取材、現在も継続中。

  • 写真 / Photos

    堀内 僚太郎 / Ryotaro Horiuchi
    フォトグラファー。1969年、東京都生まれ。1997年に独立。広告、ファッション、CDジャケットやポートレイト等で活動。2006年からスイス時計フェアの撮影を続け、2009年からGressiveに参加。2018年にH2Fotoを立ち上げ写真講師としても活動。

  • 写真 / Photos

    江藤 義典 / Yoshinori Eto
    フォトグラファー。1981年、宮崎県生まれ。2001年に上京。2006年、知人の紹介でカメラマンの個人スタジオのアシスタントに。スタジオ勤務を通し写真撮影とデジタル・フォト加工技術を習得。2013年に独立し、自らのスタジオを開設。Gressiveをはじめ、メンズ誌、モノ情報誌、広告等で活動。スイス時計フェアは2015年から撮影を継続。

INFORMATION

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