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IWC historyIWCパイロット・ウォッチのすべて 03

1948年、IWCのみならず時計史に燦然と輝く傑作パイロット・ウォッチ「マーク11」登場

1948年、IWCのみならず時計史に燦然と輝く傑作パイロット・ウォッチ「マーク11」登場。1936年の「スペシャル・パイロット・ウォッチ」(Ref.IW436)から研究と研鑽を積んだ耐磁性能をさらに進化させたモデル。これもまた時計史に名を残す名技術者アルバート・ペラトン設計のCal.89搭載。


Part.3 マーク11登場前夜

 まだ衛星によるGPS等電子機器のなかった時代、はるか上空の航空機内コックピットでは時間がなによりも重要であった。信頼の置ける時間計測機=時計の存在は絶対だったと言える。


 第二次世界大戦勃発時(1939年9月1日)、英国はラジオビーコンの枠外での敵中奥深く侵攻するための精密攻撃の方法に悩んでいた。大戦半ばで六分儀と時計計測による天体航行(celestial navigation)に切り替えたが、問題は埃や湿気が与える時計精度への悪影響だ。より高高度での飛行中の暖房のない航空機内ではなおさらのこと。さらに1943年末頃になると機内に電子装置が増えていくことで、埃や湿気どころかこれらの影響による時計の磁化という問題も現れた。


 このような事情から第二次世界大戦後、英国王立空軍(RAF)は天体航行という目的のために、「Navigater’s Wrist Watch Mark 11、Ref.No.6B/346」もしくは単に「Mk.11」計画を立案し、IWCとジャガー・ルクルトにオーダーする。これら2社はW.W.W.腕時計製造12社に入っていた。時代は戦後、世界はすでに冷戦という新たな局面を迎えていた。


 英国王立空軍のオーダーの元、IWCは新型腕時計の開発に邁進し、ついに第二次世界大戦終結3年後の1948年に、IWCのパイロット・ウォッチ史上、伝説の名機とされる「マーク11」が誕生する。


1948年 マーク11(キャリバー89搭載。
耐磁性軟鉄製インナーケース装備)誕生

 1948年に誕生した航法士用腕時計「マーク11」(キャリバー89搭載)は、IWCにおいて耐磁性に対する解決案を実現した最初の腕時計である。後年の「インヂュニア」(1955年)は当モデルの経験に負うところが大きい。この辺りの事情を参考文献とした『IWC PILOT’S WATCHES -FLYING LEGENDS SINCE 1936-』の当該記述を要約する。


「必須条件は磁場からのムーブメント保護。当時のレーダー装置から生じる磁場が時計の歩度に支障を与えたためだ。この問題に対するIWCの解決策は独創的なもので、根本的にはムーブメント周囲の磁界の処理方法にあった。そこで彼らは時計製造と冶金分野における最新の開発技術から得た専門知識を注ぎ込む。結果として、特別な高導電性の合金でできたマントルで手巻き式ムーブメントのキャリバー89を封じ込めるに至った。磁気からムーブメントを護るインナーケースを構成するのは、インナーバックとムーブメントホルダーリング、そしてダイアル(これは概ね1mm厚のプレートで製造された)で、これらはすべて同様の軟鉄合金製である。これはいわゆる“mumetal(註:ミューメタル=ニッケル-鉄の合金)”だ。現在言われている“軟鉄製インナーケース”の開発と、さらにケース上部を耐磁性のダイアルで覆うことで、ムーブメントの周囲に放射される磁気を低減させた。またケースに時計ガラスをしっかりと固定することで、コックピット内での急激な気圧低下でも緩むことがないようにした。IWCはパイロット・ウォッチの知見をすべてこの時計のムーブメントとケースに注入したのである。マーク11は耐磁分野の効果的プロテクションを提供できる軟鉄インナーケースを設置した最初のタイムピースであった」(以上、『IWC PILOT’S WATCHES -FLYING LEGENDS SINCE 1936-』より抜粋・要約)


 このような経緯で、英国王立空軍(RAF)の依頼を受けたIWCは、キャリバー89(直径26.5mm、高さ4.25mm、11.75リーニュ、毎時18,000振動数。センターセコンド式と秒針停止機構を搭載した特許取得のメカニズム)をベースに、パイロット用腕時計「マーク11」を開発した。


 ところで、なぜ当モデルには“11”というアラビア数字を使用し、以前と以降のようにローマン数字を使用しなかったのか? それは第二次世界大戦後の一時期、RAFはローマン数字の使用を止めていたというのが理由だ。


  • 当時のIWC技術責任者アルバート・ペラトン(1898-1966)
  • 当時のIWC技術責任者アルバート・ペラトン(1898-1966)。1944年から1968年に当社在籍。Cal.89やCal.85系ムーブメントの開発、ならびに1950年設計の頑健で巻き上げ効率に優れる両方向巻き上げ式自動巻き、通称“ペラトン式自動巻き上げ”機構を設計。当機構は現在もなおIWCにおいて改良・進化し続けている。なおクルト・クラウス博士はIWC入社後の1957年1月にペラトンに出会い、その彼を“師匠”と直感したという。


 さらに本書の要約を続ける。


「どの腕時計もRAF納入前に“Navigator Wrist Watches”のための44日間に渡る試験が課せられた。時計精度は5姿勢差と摂氏-5℃から+46℃の温度で検査。英国王立空軍(RAF)納入ダイアルにはブロードアローのマークが定められており、裏蓋にはunit’s designationと製造年も含めて“at IWC”と刻印された。


 英国王立空軍と連邦空軍(The Commonwealth Air Forces)の経験から得たノウハウを組み入れたマーク11は、依然として天測航法(astronomical navigation)として極めて優秀であった。マーク11のムーブメントはIWCキャリバー89かJLCキャリバー488/sbr.で、これらの優秀さは真実である。着用者の動きがどうであれ、マーク11は極めて優れた精度を維持した。この精密機器に敬意を表し、RAFは全英国海軍のクロノメーターを管理していた王立グリニッジ天文台(the Royal Greenwich Observatory)にマーク11の管理を委ねる。


 1948年から1949年11月までに、このモデルはRAFや英国連邦諸国の空挺部隊に1984年まで供給された(註:IWCの公式ホームページでは1981年)。およそ7400個のマーク11がRAFに供給され7~800個の時計が王立オーストラリア空軍、王立ニュージーランド空軍、南アフリカ空軍に納品されている。


 このような経緯で誕生したマーク11だが、世界はすでに冷戦時代。その最中の1952年、読み取りやすさを深めた根本的な修正がダイアルと時分針になされる。この改修以降、3、6、9と12時のインデックスのみ外側に長方形型の夜光素材が施された。12時位置に白い三角形のインデックスマーカー装備。読み取りやすさは、それまで細身でお互い似通ったデザインの時分針のリデザインによって特に強化される。時針は短く幅広になり、分針は細長くなった。(中略)IWCが最後のマーク11の検体を配送したのは1984年のことである(註:IWCの公式ホームページでは1981年)」(以上、『IWC PILOT’S WATCHES -FLYING LEGENDS SINCE 1936-』より抜粋・要約)


 また、1963年までにRAFはすべてのラジウムダイアルを、丸で囲まれた“T”でマークされたトリチウムダイアルに交換することを決定している。



 また前述したように1955年、耐磁性に関する「マーク11」の技術を参考にした自動巻きモデル「インヂュニア」が登場し、後年の1989年にはついに500,000A/mの「インヂュニア」を発表、IWCの耐磁性能は飛躍的な進歩を遂げた。




――さて1952年以降、IWCのパイロット・ウォッチはしばし休息の時代に入る。1988年には、ジャガー・ルクルト製メカニカルクォーツ搭載のハイブリッドクォーツ・メカニカルクロノグラフで一時復活するが、パイロット・ウォッチの本格的な復活は1992年までの時間を必要とした。なお、1978年には故ギュンター・ブルムラインがIWCのCEOに就任する(2001年まで)――





協力:IWC / Special thanks to:IWC



  • 構成・文 / Composition & Text

    田中 克幸 / Katsuyuki Tanaka
    Gressive編集顧問。1960年愛知県名古屋市生まれ。大学卒業後、徳間書店に就職。文芸部を経て1988年「グッズプレス」創刊に携わり、後に編集長に就任。この間、1993年に同社で「世界の本格腕時計大全(後の『TIME SCENE』)を創刊し、2009年まで編集長を務める。同年より「Gressive」に参加。1994年よりスイスを中心としたヨーロッパ各国を取材、現在も継続中。

  • 写真 / Photos

    堀内 僚太郎 / Ryotaro Horiuchi
    フォトグラファー。1969年、東京都生まれ。1997年に独立。広告、ファッション、CDジャケットやポートレイト等で活動。2006年からスイス時計フェアの撮影を続け、2009年からGressiveに参加。2018年にH2Fotoを立ち上げ写真講師としても活動。

  • 写真 / Photos

    江藤 義典 / Yoshinori Eto
    フォトグラファー。1981年、宮崎県生まれ。2001年に上京。2006年、知人の紹介でカメラマンの個人スタジオのアシスタントに。スタジオ勤務を通し写真撮影とデジタル・フォト加工技術を習得。2013年に独立し、自らのスタジオを開設。Gressiveをはじめ、メンズ誌、モノ情報誌、広告等で活動。スイス時計フェアは2015年から撮影を継続。

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