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Louis Moinet天才の偉業を掘り起こした個性派独立ブランド「ルイ モネ」の現在 04

ジャン=マリー・シャラー氏追悼
出会った瞬間から打ち解けた
ジャン=マリーとのささやかな思い出


 スイス時計の現地取材をはじめて30年以上。これまで何人ものスイス人、あるいはスイスで活躍するヨーロッパ人と知り合ってきたが、本当の意味で「友人」と呼べるひとりがルイ モネの創業者でありCEO兼クリエイティブディレクターを務めたジャン=マリー・シャラー氏である。

 この一文の前に田中編集顧問による追悼文を読んだ方には先刻ご存知の通り、ジャン=マリーに最初に会ったのは1995年のバーゼルフェア取材の時。彼が探し出した古(いにしえ)の時計師アブラハム‐ルイ・ペルレにちなむ時計ブランド「ペルレ」取材の際だった。この「ペルレ」については田中氏の原稿に詳しいから省くが、我々と初対面のジャン=マリーは個性的な製品への興味も含めて、なぜかウマが合い、またたく間に打ち解ける関係となった。

 そんな取材を続けるうち、いつだったか忘れたが、ジャン=マリーの息子さんがクレイアニメの「ピングー」の大ファンだという話になった。

「そうなんだ。『ピングー』は可愛いしウチの娘も大好きだよ。でもジャン=マリー、『ピングー』ってスイスで作られているのは知ってた?」と尋ねると、「えっ?『ピングー』ってスイスで作ってるの!」とびっくり。彼はどこか違う国で作っていると思っていたらしい。しかし「ピングー」はスイス発祥。1990年代はじめの当時、チューリッヒ近郊のリュシュリコン(Ruschlikon)という町に「ピングー」を制作するスタジオがあったのだ。「じゃあ、わかった。今度のクリスマスに君の息子さんに何か『ピングー』のグッズを贈るよ」と約束し、日本に帰った私はピングーのマフラーとニット帽を購入しスイスに送った。

 そしたら、その御礼としてジャンマリーが次の来日時(だったと思う)に持ってきてくれたのが、オメガの古い広告を復刻したポスター。おそらく彼がシイベルへグナー在籍時に企画して作ったものらしく「ナバタさんはオメガが好きですよね?」と言いながら手渡してくれたと記憶する。

 この時、ジャン=マリーは、こう私に伝えてくれた。「ピングーの帽子とマフラーを身につけた僕の息子は、この冬、ニューシャテルのヒーローになったよ!」って。思えば、これがジャン=マリーと友人になったと感じた瞬間だった。

「ルイ モネ」を取り扱うジーエムインターナショナルからの情報によれば、現在「ルイ モネ」はジャン=マリー・シャラーの息子ナタナエル・シャラー氏が、クリエイティブプロダクトマネージャーを務め、新作の開発を指揮しているという。おそらく、このナタナエルこそ、私がピングーの帽子とマフラーを贈った息子さんに違いなく、次回、取材でお会いした際には、そのことを確かめたいと考えている。

 それにしても早すぎるよジャン=マリー。彼は1959年生まれで私と同い年。また近いウチに取材で会って、新作のことやマジカルなファッションのことを聞きたかったのに。それが叶わないことが、なんとも残念なのである。 

「ピングー」グッズのお礼としてジャン=マリーがプレゼントしてくれたオメガの復刻ポスター 「ピングー」グッズのお礼としてジャン=マリーがプレゼントしてくれたオメガの復刻ポスター

「ピングー」グッズのお礼としてジャン=マリーがプレゼントしてくれたオメガの復刻ポスター。カバーのパラフィン紙には彼の自筆で「1974年に複製された1905年のオリジナルポスター。フランス人アーティスト、エリューの作品」と書かれた付箋を貼られたままにしてある。ニコリと笑う太陽も彼が描いたもの。ちなみに作者のポール・セザール・エリューは、19世紀末のベル・エポックと呼ばれた時代にパリで活躍した画家・版画家。流麗な筆致の婦人像で知られる。


文:名畑政治 Text:Masaharu Nabata




構成・文:名畑政治(TOP,P.1-P.2、P.4)、田中克幸(P.3) / Composition, Report&Text:Masaharu Nabata , Katsuyuki Tanaka



INFORMATION

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株式会社ジーエムインターナショナル
〒110-0008 東京都台東区池之端1-6-13境会館2階
TEL: 03-5828-9080

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