FRANCK MULLER東京ブティックの開店が ブランドへの発展の契機だった
 東京ブティックの開店が
ブランドへの発展の契機だった
 
ジュネーブ郊外の閑静な住宅街、緑深いジャントウに設立されたフランク ミュラー本社工房。約百年前の邸宅を徹底的に改造し、その佇まいから「シャトウ」と呼ばれた。その後、この建物を中心として、いくつもの工房が建設され、やがて「ウォッチランド」へと発展する。
このように、初期のスタイルこそ古典を範とするものだったが、フランク ミュラーが他の時計師と異なっていたのは、古いスタイルを取り入れるだけでなく、デッドストックのムーブメントを探し出し、それをモディファイして腕時計に仕立てたり、失われつつあった古典的な技法を掘り起こし、新しい製品に積極的に導入するといった方向性を明確に打ち出した点にある。
さらに若い時計師を工房に受け入れて製作を分担し、単品製作だけでなく、まとまった個数を作る“シリーズ生産”の体制を構築し、自身の名前を前面に押し出すことで“ブランド”としてのアイデンティティを主張するなど、“大メーカーの依頼で開発と少量生産を請け負う影の存在”という独立時計師を表舞台に引っ張り出す役目を果たした。
その原動力のひとつとなったのが、先に紹介した1992年に東京にオープンしたブティック。このブティックが誕生したことで、フランク ミュラーはシリーズ生産体制を確立し、ブランドとしての道を邁進することになる。
事実、2015年秋に京都で開催された「WPHH JAPON 2015 in KYOTO」で私が行ったインタビューで、フランク ミュラーは「日本からの要請で東京に店を出さなかったら、トノウ カーベックスもシリーズ化せず、フランク ミュラーのコレクションを作ることもなかったかもしれません」と語っている。
フランク ミュラーとはスイスが生んだ類い希な独立時計師にして起業家であるが、それを育んだのは日本であった、とも言えるのだ。
取材・文:名畑政治 / Report&Text:Masaharu Nabata
写真:江藤義典 / Photos:Yoshinori Eto(25周年記念インタビューを除く) 
 
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       フランク ミュラー ウォッチランド東京
 東京都中央区銀座5-11-14
 TEL:03-3549-1949
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