メインコンテンツに移動

GRAND PRIX D'HORLOGERIE DE GENÈVE 2024GPHG 2024特別番外編 2024「GPHG」受賞 - 2025「9号」発表 04

現地で感じたスイス時計界の柔軟さ

大塚ローテック創業の2012年に発売された「5号」のデザイン要素を継承する

大塚ローテック創業の2012年に発売された「5号」のデザイン要素を継承するXXXX年発表の「5号改」。「5号」はレギュレーター機構だが、当モデルは回転する3個のサテライト(衛星)アワーディスクと、固定されたミニッツスケールとの組み合わせで時刻を読み取る機能が最大の特徴である。

 ここで片山氏にさらなる質問。今回、時計の本場の空気に触れ、連なる有名時計人との会話を経験する濃密な時間を経験した上で、日本との違いと日本が今後進むべき道を尋ねた。

「ショウレースの裏側にある政治的なことや企業間の駆け引きなどは分かりませんが、向こうは“横の繋がり”があると感じました。ブランド同士やサプライヤー同士でも同じ繋がりを感じて羨ましいですね。このことはヤフオクで機材を購入し、GoogleやYoutubeで製作方法などを研究していた頃から感じていたことです。向こうの環境と日本はまったく違うと痛感していました。

 それから、日本では“真ん中のブランド”がありません。セイコー、シチズンなどの大企業と、僕らのような個人作家レベルとの間に存在するインディーズ系ブランドがないのです。だから横の繋がりが発達しないのだろうな、と思いました。何かを買うにせよ『100個以上でなければ売りません』とか、実際買おうとしたら米国から買った方が安かったりします。シチズンのムーブメントも御徒町で買うよりも米国から買った方が安いのです。そういう部分で、まず闘う環境としては足りないものがありますね」

 日本でもこのようなコンベンションあるいはコンペティションが必要と私は思っている。機械式時計のブームがいち早く起きたのは日本で、1990年代前半のことだ(アンティーク市場ではこれより少し前で、ロレックスが牽引役だった)。中国やアジアからのメディアが殺到したのは1997年頃からである。しかし今では、世界的な時計展示会と言えば上海、シンガポール、ドバイに圧倒されている。かなり歯痒い。

5号改

5号改
No.5 KAI


全体が風車のように回転しながら、同時に中心軸から3方向に伸びる羽根の先端に置かれたアワー表示ディスクも回転する、というサテライト(衛星)ディスク機構を搭載。十字型のアワー表示ディスクはリレー式にミニッツスケール上を移動。この運動によりディスクのインデックスとミニッツスケールの組み合わせで時刻を表示する。MIYOTA製Cal.90S5の上に自社製サテライトアワーモジュールを搭載。5時位置には秒ディスクを設置。右側に時刻表示計を集中させた理由は、左手首に時計を装着した際、シャツの袖越しでも時間を読み取りやすくしたため。ミネベアミツミ社製ボールベアリングを2個使用。特に時ディスク切り替え用ボールベアリングは「5号改」のために特別製造されたもので、2025年1月には記者発表まで設けられた。

ケース径:40.5mm
ケース厚:7.6mm(風防込みのケース厚は12.2mm)
ケース素材:ステンレススティール(316L)
防水性:日常生活防水
ストラップ:ブラック・カーフレザー
ムーブメント:自動巻き、MIYOTA90S5+自社製サテライトアワーモジュール、約40時間パワーリザーブ、毎時28,800振動(毎秒8振動/4Hz)、25石+2ボールベアリング
仕様:時・分・秒
価格:748,000円(税込) ※1年保証

受賞後の国内の反応と今後のこと

 2008年にヤフオクで購入した卓上旋盤に始まり、GoogleやYoutubeで見よう見まねの時計製作、その後2012年の「5号」完成を機に創業した大塚ローテックは、ついに2024年のGPHGでチャレンジウォッチ賞の栄誉に輝いた。受賞後のこの1年を振り返ると、特に目立つような変化はなかったようだ。


「急激に何か変わったとかいうことはないのですが、雑誌やネット媒体の取材が増えました。それに加えて新聞や放送メディアの取材もありました。注文は元から多く、需要が供給を上回る状態が続いていたので……」


 心境の変化もなかったという。


「別にありませんでした。受賞の瞬間は、すぐに次の年は何を製作しようかと思いましたし……。モノ作りに関しても(受賞したことの影響は)あまりなかったかな。元々、お客さんの方を見てないで時計を作っていますしね。面白いなぁと思うものを真似てみたり、自分が面白く感じるものを作ったりしてきましたが、それが形になってきて、またそのような姿勢で作ってきた自分の時計を面白がるお客さんが増えてきたということでしょうか。

 時々、オーダーメイドやいっしょに作らないかいう依頼はあるのですが、多分、僕はできないですよ。(他人の)言うことを聞く、という時点で手が止まると思います。そんな製作態度ですね」


 独立して自分の思い描く時計作りを行なっている人たちは、大体において片山氏と同じ姿勢を保ち続けている。「(他人の)言うことを聞く、という時点で手が止まると思います」という彼の発言は、そのまま大塚ローテック、片山次朗氏の製作哲学だと思う。


 GPHG2024の翌2025年、年明け早々に大塚ローテックは次の一手に出る。ミニチュアベアリング等で世界のトップシェアを誇るミネベアミツミ社との共同記者発表会を開催し、「5号改」に同社製の新設計ボールベアリングの採用を発表。その8カ月後にはP.01で紹介した「9号」の発表に至った。

 今回の片山次朗氏のインタビューを通じて、私は以前より感じていた“日本は業界の縦割り構造から脱却できない”という思いを改めて強くした。これは少し片山氏の考えと似ている部分があるかもしれない。スイスの技術者に「前職はなんでしたか」と聞くと、「自動車関係です」とか「化学関係です」という返事が結構ある。特に2000年以降、時計界の再編成が進み始めた頃からの印象だ。スイス(ならびに欧州)は業界・業態を超えた横の移動が簡単なことが、結果的に時計産業の発展に良い影響を与えているように思える。片山氏や浅岡氏のようにまったく異なる業界からの転身は、日本では中々見られない。

 また一方で、スイスの時計学校を修了し、大手や中堅クラスの時計メゾンに入社したスイス人時計師(技術者)は、そのままの地位に安住している傾向も見受けられる。スイス時計業界の閉鎖性を問題視しているのは、グレッシブ編集長の名畑政治だ。彼曰く、「特に時計師などに高給を与えて産業保護と維持を行う政府の政策で、時計学校でもジュネーブ時計学校は外国人は入学できない。そこで日本人はヴァレ・ド・ジュウの時計学校に入学したり、あるいはWOSTEPで勉強するという方法しか選べない」。しかし、少なくとも1980年代以降、時計界に革命をもたらしてきたのは非・スイス人である。アカデミー(AHCI)の構成メンバーを見よというのが30年来の名畑の持論だ。この点、最近の日本時計製作者(あえて時計師とは言わない)の躍進は素晴らしい。なにしろ世界中の時計愛好家が彼らに注目し、その活動を支持しているのだから。まだ萌芽の時期かもしれないが、大塚ローテックの片山次朗氏はそのフロントランナーのひとりであることに間違いは無い。

 最後に、私の個人的な希望を述べさせて頂く。片山氏にはいつかオートマタを製作してほしい。それも削り出しの金属を徹底して磨いたメカニズム剥き出しのオートマタが発表されれば、世界の時計愛好家は仰天し、東京・大塚に殺到するはずだ。





取材協力:片山次朗(大塚ローテック)、岡原圭佑(東京精密時計)
Special thanks to:Jiro Katayama(ŌTSUKA LŌTEC)、Keisuke Okahara(Precision Watch Tokyo)
©FONDATION DU GRAND PRIX D'HORLOGERIE DE GENÈVE

NEW RELEASE

新着情報をもっと見る