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Gressive Premium vol.05 Saxon Watch Story  地域振興として始まったグラスヒュッテの時計産業

地域振興として始まったグラスヒュッテの時計産業

  ザクセン王国(現在のザクセン州にほぼ重なる)の南部、エルツ山地の懐に抱かれた小村グラスヒュッテ。この地にドレスデンの宮廷時計師フリードリヒ・グートケスの弟子にして、優秀な時計師であるフェルディナンド・アドルフ・ランゲが、数人の若者を集めて時計工房を開いたのは1845年のことだった。


  当時、グラスヒュッテは銀鉱脈が枯渇し貧困に苦しんでいた。その状況を知ったランゲは政府に嘆願書を提出して資金援助を受け、村の振興のために時計工房を開設したのだ。


  やがてランゲの事業に賛同する優秀な時計師たちがグラスヒュッテに続々と集まり、それぞれが工房を開設。1851年にはロンドン万博でランゲの時計が第1位を獲得し、グラスヒュッテ製懐中時計の優秀さが認められ、この地に時計産業の花が開くのである。


  その後、1878年にモリッツ・グロスマンがグラスヒュッテに時計学校を設立し、ここを拠点として時計技術の研究が進み、高精度な懐中時計やクロノグラフ機構、永久カレンダーなどの複雑機構、観測用のレギュレーター・クロックやマリンクロノメーターなど、スイスと肩を並べる優れた時計が開発された。


  だが第二次世界大戦の末、1945年2月13日から14日にかけてドレスデンは連合軍による激しい空爆を受け、“バロックの真珠”と謳われた美しい町並みは壊滅的な打撃を受ける。


  さらに戦後、ドレスデン一帯はソ連軍に占領され、やがてドイツ民主共和国(東ドイツ)として共産圏に組み込まれる。ツァイス・イコンなどカメラ工場はペンタコン人民公社となり、グラスヒュッテにある時計会社も、人民所有企業「GUB(グラスヒュッテ・ウーレン・ベトリーブ)」に統合された。


  この時代、グラスヒュッテの高級時計製造は停止され、普及品が主体となった。また、その一部は外貨獲得のため輸出されたが、多くは東独製であることを隠していたと言われている。


  ところが1990年、東西ベルリンを隔てる壁が崩壊し、東西ドイツが統一され、ドレスデンは再び、芸術と文化、産業の中心地としての繁栄を取り戻していく。同時にグラスヒュッテでは、人民所有企業「GUB」が民間企業へ転換し、A.ランゲ&ゾーネはそこから離脱し、独立企業として再び製産を再開。その他のブランドも続々と活動を開始し、腕時計を主体として、かつての黄金時代を凌ぐ素晴らしいタイムピースが、グラスヒュッテから次々に生まれる新たな時代を迎えたのである。




構成:田中克幸(Atelier ADJET) / Direction:Katsuyuki Tanaka
取材・文:名畑政治 / Report&Text:Masaharu Nabata
写真:高橋和幸(PACO)、堀内僚太郎 / Photos:Kazuyuki Takahashi , Ryotaro Horiuchi
協力:A.ランゲ&ゾーネ、グラスヒュッテ・オリジナル / Special thanks to:A.LANGE&SÖHNE、GLASHÜTTE ORIGINAL


INFORMATION

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モリッツ・グロスマン・ジャパン
〒112-0002 東京都文京区小石川4-15-9
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