Furlan Marriヴィンテージの極意は薄さにあり”。ベテランから入門者まで全時計愛好家を魅了する「ファーラン・マリ」 02
1作目と2作目はクラウドファンディングで資金調達
「ディスコ・ヴェルデ」(ヴェルデ=verde、緑色の意)は、手巻き式のプゾー製Cal.7001を搭載する「ディスコ・ヴォランテ」コレクションのひとつ。6時位置にスモールセコンドを配する。まるで何年もかけて変化したかのような、滋味深いグリーンとクリームの色彩設計が見事。
ファーラン・マリが創業した2021年当時、世界はまさに新型コロナ(Covid-19)感染症によるパンデミックの最中にあった。当初、アンドレア・ファーラン氏とハマド・アル-マリ氏の計画は、現在のものとは少し違っていたようだ。
「会社発足時に私とハマドが抱いていた最初の時計の構想は、パーペチュアルカレンダーでした。しかし、世界は新型コロナのパンデミックに突入してしまい、我々は当初のパーペチュアルカレンダーの計画を、より手頃な時計へと変わって行ったという経緯があります」(アンドレア・ファーラン氏。以下、ファーラン氏)
事業には資金が必要である。まず彼らは2021年3月に「キックスターター(Kickstarter)」というクラウドファンディングで資金調達を行なった。2009年に米国で発足したこの民間企業は、Wikipediaによれば“クリエイティブなプロジェクトのための、最も優れたクラウドファンディング・プラットフォーム”と言われている。時計事業の開始に当たってのクラウドファンディングの活用は、2015年に再興したチャペックでもザビエル・デ・ロックモーレルCEOが行っており、現在ではもっとも効率的な資金調達法のようだ。ファーラン・マリでは、初回のクラウドファンディングでの資金調達はわずか35秒で達成したという。さらに最初のスケッチ段階からプロトタイプの製造、クラウドファンディング・キャンペーンまで1年足らずで達成している(GPHG 2021の公式資料より)。
「(クラウドファンディングで事業を始めたことに関して)可能ですよ。しかしもっとも重要なのは継続することです。これこそがチャレンジなんだと思います。2回目のキックスターターは2作目の『マーレ・ブルー』を発表した時ですが、初回に5モデルを発表した時より2倍の資金を得ることができました。しかし、新作を発表する度にキックスターターを利用するわけではありません。『マーレ・ブルー』の時は事前にオーダーを募り、その数のみを製作しました。ですから2カ月ほどの期間で無駄なく時計を製作することができたのです。しかし『マーレ・ブルー』以降は、パーマネント・コレクションを揃えて製作しています。『マーレ・ブルー』でプレオーダーを採用したことで、我々は顧客の好みを把握することができたので、生産本数の予測が立てられるようになりました」(ハマド・アル-マリ氏。以下、マリ氏)
すでに完売品となっている「マーレ・ブルー」は、「カスターニャ」(前ページで言及のみ。写真未掲載)や「サッビア・ローザ」「ロッソ・グリージョ」(2モデルとも前ページで写真付きで紹介)と同じ、GPHG 2021の受賞モデル「Mr.Grey」の流れを汲むモデルだ。つまりセイコーのメカクォーツ・ムーブメントのCal.Seiko VK64を採用した、ツーインダイアル・クロノグラフである。
2021年のGPHG公式資料を一読した時、私は時計ブランドでは余り見慣れない「マリ」という名前に注目した。これは共同創設者・経営者のハマド・アル-マリ氏の姓で、彼はサウジアラビアの出身である。その珍しさを彼に伝えると、彼は軽く「ハッ、ハッ、ハッ」と笑い、
「見慣れない名前があるって、他人の興味を引くので良いことなんですよ」(マリ氏)
と述べた後、自身のプロフィールと中東の時計事情を話してくれた。
「私はサウジアラビア出身で、時計コレクターでありアーティストです。ダイアルに“マリ(Marri)”という中東系の名前が入った時計を最初から製作したのは、我々が初めてですよ。(ということもあり)我々の時計は中東において、かなりのシェアを持っています。“マリ”というのは部族名なのですが、サウジ以外にもカタール、クエート等でも有名な姓です」(マリ氏)
中東の人は宝飾系と機械式系に好みは分かれるのか、という質問に対しては、
「宗教的な問題で色付き(YG、PG等)の時計は着けてはいけないのです。プラチナは許されていますが(パルミジャーニ・フルリエが『トンダ ヒジュラ パーペチュアルカレンダー』を製作したときの苦労話を思い出す)。それよりも仕上げの良さやスケルトン加工とか、そういう方に興味があります。しかし、これらは最近のお話。以前はオメガやロレックスがいちばんの人気でした。つまり、中東の時計の好みは最近変わったのです。それはスマホの普及によって、(人々が勉強し知識を付けたことで)変わりました。かつて1980年代にはヴァシュロン・コンスタンタン株の70%を、サウジの誰かが持っていた時代もありましたが」(マリ氏)
パリのショーメやブレゲの株を中東企業が持っていた時代がありましたね、と言うと、
「そうそう、1950年代ぐらいから王族の人はパテックなどを官僚等へのギフトとして購入していました。これは賄賂ではありません、男性に対してはギフトとして時計を贈呈する習慣がありました。女性にはジュエリーでした」(マリ氏)
マリ氏が言う中東での時計事情の変化は、この2年間ほどのインタビューで色々な時計関係者から聞いた話と一致している。スマホの普及、ネット・コミュニケーションの拡大、さらに新型コロナのパンデミック期間に時計の知識を蓄え、いわゆる“時計IQ”が高くなったシン・時計ファンの層が出現し拡大している現象だ。またネットによる時計コミュニティの成長と、コンセプトメーカーの台頭が相乗効果をもたらしたことは今や常識である。さらに前ページでも述べたように、マリ氏は適正価格を主張する。
「手に届きやすい価格というのが大切です。普通は“手に届きやすい価格”と言うと“(製品としては)良くないんじゃないか”と思われがちですが、そうではありません。高いものがイコール良いものとは限りません。高いレストランがすべて美味しいとは限りませんしね」(マリ氏)
マリ氏とファーラン氏、各々活動拠点はスイスとサウジアラビア。直線距離にすると約4000~4400km離れているが、仕事の進め方はどのようにしているのか?
「私自身が時計コレクターなんです。そこで自分のコレクションを参考にして、デザインを決めていくという方法を取ります。また私はアーティストですので、その観点からも時計デザインを練り上げますね。アンドレアと過去の作品とアート性をミックスして、そこにモダニティ=現代性をツイストして、彼と共に創っていきます。
メインはアンドレア率いるスイスチームです。(サウジとの距離感については)“スラック”(※Slack。Slack Technology社が開発したビジネス用のチャットアプリ)というアプリで、オーダー数から生産本数をチームで情報共有しています」(マリ氏)
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Andrea Furlan
アンドレア・ファーラン
スイス生まれ。インダストリアル・デザイナー。国際的に高い評価を受けるスイスのローザンヌ州立美術学校(ECAL:Ecole cantonale d'art de Lausanne)卒業。在学中にウブロとショパール、ヨルグ・イゼック等にインターンとして勤務。ハマド・アル-マリ氏との共同作業で時計デザインの創作活動に携わると同時に、サプライチェーンの統括も担当する。サプライヤーは製造効率を考えスイスとアジアの一部に集中させているとのこと。ジュネーブ本社の最高責任者。 -
Hamad Al-Marri
ハマド・アル-マリ
サウジアラビア生まれ。時計コレクター、アーティスト。アンドレア・ファーラン氏と共にファーラン・マリを創設、共同で時計デザインを創作する。時計のダイアルに“マリ”というアラブ系の名前(サウジアラビア、カタール、クエート等で有名な部族名)を入れた最初の時計を創案したことに誇りを抱いている。オーダー数から生産本数などの業務については、ビジネス用チャットアプリの“スラック(Slack)”でスイスチームと情報共有している。
目指すは「手の届く価格帯のロールスロイス」
マリ氏のコレクション、それを基礎に彼らの古典時計に対する知識と教養にセンスが加算された結果、誕生したのがファーラン・マリだ。一方のファーラン氏も、時計の素養に関してはかなり研鑽を積んできた歴史がある。
「時計好きになったのは、元々父親のロレックスのターノグラフ(『デイトジャスト ターノグラフ』)です。父はそのターノグラフを腕から外すということを、ほぼしませんでした。ずっとターノグラフを着けて生活していたのですが、ある時、父と昼食をしていましたら、彼がその時計を外す場面があったのです。私はデザインが好きでしたので、父が外した隙にそれを絵に描きました。こんな話をしたのは、時計自体に物語(ストーリー)を運ぶ力があるからです。時計のこのような力に感銘を受けて、現在の事業を始めようと思ったのです」(ファーラン氏)
時計をスケッチした、という彼の話で私はある人物を思い出した。ジャン-クロード・ビバー(ビヴェール)氏である。彼はインタビュアーなどの話し相手の着けている時計に興味を持つと、必ずスケッチをした。私も2回ほど、その現場に居合わせたことがある。このことをファーラン氏に伝えると、
「実は、私は大学在学中にウブロでインターンをしたことがあります。もっとも最初、会社にインターンの件で電話を掛けたら『当社はインターン制度を採用していません』という返事でした。しかし、たまたまネット検索をしていたら偶然にもジャン-クロード・ビバー氏のメイルアドレスを発見、そこで彼に直接メイルを送りました。そうしたら夜中の3時頃に返信が来て『君は面白いから私のアシスタントに連絡をしなさい』と。それでインターンに採用されました。今でも彼とは連絡を取り合っていて、私は自分の事業の状況などをアップデートして、彼とはそれを共有しています。彼の息子さんとも懇意にして頂いています。
もうひとつ、ショパールでもインターンをしました。こちらはジュエリーです。テニス・プレイヤーのロジャー・フェデラーのショパール・オリジナルのペンダントの仕事に携わることができ、そこで時計やジュエリーの仕事を絶対にしたいと思うようになったのです」(ファーラン氏)
アンドレア・ファーラン氏は、国際的にも高い評価を得ているローザンヌ州立美術学校(ECAL:École cantonale d'art de Lausanne)を卒業したインダストリアル・デザイナーである。「ディスコ・オニキス・ダイヤモンド」にはヘリンボーン・デザインのメッシュブレスレットが装着されているが、これも彼のデザインだ。
「このブレスレットは、ハイエンドのコレクターに大変人気があります。高級時計でもこの品質を実現できるブランドは中々無い、というお声を頂いています。
私は100本以上のヴィンテージモデルを所有しています。ヘリンボーン・ブレスレットも私のコレクションにあり、それを参考にしてデザインしました。あのデザインの強みは様々な腕時計のサイズに対応できるという点です。ブランパンが昔、このデザインを使っていましたね」(ファーラン氏)
彼らの世に送り出した時計は、ネットや他メディアを通じて瞬く間に世界のコレクターの注目するところとなった。何よりも、筋金入りの時計コレクターから、時計愛好家クラブに入会したばかりの初心者まで魅了したことが素晴らしい。社是のひとつと言える「価格以上の品質」に心掛け、「手に取ることのできる高品質ヴィンテージ」を目指す姿勢に賞賛を送る人は多いはずだ。
「手の届く価格帯のロールスロイス」とは、彼らのキャッチコピーだが、日本では2025年9月から取り扱いが始まった。日本総代理店は株式会社ヒラムパートナーズ。小売店の注目度は高く、取り扱いが始まっている店舗も増えつつある。
21世紀に入ってから時計の価格は高騰の一途を辿っている。もはや、時計好きのまっとうな勤め人が購入できる世界ではなくなった。この現状に風穴を空ける期待の星が、ファーラン・マリである。
取材協力:ヒラムパートナーズ Special thanks to:Hiram Partners
INFORMATION
ファーラン・マリ(Furlan Marri)についてのお問合せは・・・
Furlan Marri Japan
〒101-0046 東京都千代田区神田多町2-1-7 9F
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