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ピエール・クンツ(PIERRE KUNZ)
2002年、ウォッチランドで衝撃のデビューを果たしたピエール・クンツ。 フランク・ミュラーの工房に入った1997年からわずか数年で自身のブランドを持つに至ったのは、彼の持つ卓越した時計技術とクリエイティビティーの賜物である。
1959年にスイス・ベルンで生まれ、時計学校卒業後は名門・ヴィクトラン・ピゲの工房でパテック・フィリップのためのパーペチュアルカレンダーを全て手作りで製作するまでの技術者として活躍。独立後は自身の工房を構え、その後も様々な有名メーカーのウォッチメイキングでその才能を発揮していたが、フランク・ミュラーに入って更にその力は揺るぎないものとなった。
ブランド設立前もコンプリケーションウォッチの製作、特に、秒、分、時間、曜日などを指す針が反復運動を繰り返す、ユニークかつ複雑なレトログラード機構に関する技術に定評のあったピエール・クンツ。彼の初めてのコレクションで、30秒レトログラード・セコンドのシンプルな「レトログラード・セコンド」シリーズや、左右に配された針がまるで蝶の羽ばたきを思わせる「パピヨン」シリーズなどの重厚かつ現代的なものから、ダイヤルにテキサリウムを用いたスポーティな「グランドデイト・スポーツ」、そして文字盤にデザインされたハートの中で動くトリプルレトログラード・セコンドの「キュピドン」といったエスプリにあふれた愛らしいシリーズとそのコレクションは相当幅広い。また、トゥールビヨンを搭載し、日付や曜日のレトログラード機能を組み合わせたコンプリケーションもラインナップに入っている。
このように彼のブランドの最大の特徴はレトログラードであり、ラインナップの全てにこのレトログラードが用いられている。ブランドのコンセプトとして掲げられている<SPIRIT OF CHALLENGE>という言葉の通り、まさにその姿勢は常に新たなものへのチャレンジ精神にあふれている。全てのモデルはデザインに合わせて一からモジュールを設計されており、ピエール・クンツの手にかかれば、レトログラードの動きはまさに自由自在、時計に無限の可能性が現れるのである。
特に2006年に発表された「ヴィルヴォルタント・レトログラード」では、60秒針がルーピング、つまりトンボ返りするような動きを見せるレギュレーターウォッチとして大注目を浴びた。
2008年は「ヴィルヴォルタント・レトログラード」の流れを汲むルーピングウォッチとして再び世界を驚かせた「インフィニティ・ルーピング」や、「トゥールビヨン・トリレトロ・スポーツ」、2006年、2007年に続いてアール・デコスタイルのスクエアケースのシリーズとして「ベルエポック」など、ピエール・クンツの新境地の広がりを感じさせた。
中央区銀座
03-3549-1949
http://www.pierrekunz.jp/
百貨店
専門店
ブティック
164-0000
東京都
5-11-14
フランク・ミュラー ウォッチランド東京
ピアジェ(PIAGET)
スイスで数々の名ブランドを生み出した地域として<ジュラ山脈>が挙げられるが、その中のラ・コート・オ・フェという集落で、1874年、ジョルジュ=エドワール・ピアジェが開いた小さな時計工房がピアジェの始まりである。最初はムーブメントの製作から始まったピアジェだったが、その精密さに著名ブランドからの注文が相次ぎ工房は順調に成長、一躍ジュラ山脈で名声を誇る工房として名を馳せた。1911年にはジョルジュ=エドワールの息子であるティモテ・ピアジェに経営が引き継がれ、工房が持つ高度な技術力と製品の確かさは厳格なまでに引き上げられて行ったのである。
そして1943年、ついにピアジェはウォッチメゾンとしてその名を冠した時計を発表した。これを指揮したのは創業者の孫に当たるジェラルド・ピアジェとヴァランタン・ピアジェの2人である。この2人によってピアジェの新たな歴史の幕が開けられたのだ。
1957年には長らくピアジェ ウォッチの高精度と薄さを支えた手巻きの極薄「キャリバー9P」を開発、そして1960年には厚さわずか2.3mmと当時世界最薄の自動巻き「キャリバー12P」が誕生した。こうした技術的な側面と同時に、1960年代以降はターコイズやオニキスなどを文字盤にあしらった時計や、カフス型のブレスレット・ウォッチ、前衛的な「ピアジェ ポロ」などデザインと時代をリードする意匠で世界を驚かせるだけでなく、着実に高級精密時計メゾンとしてピアジェ独自のスタイルを確立していった。こうした独特のスタイルを受け継ぎ、更に発展させる形で、1980年以降イヴ・ピアジェの指揮下ジュエリー創作にもフィールドを広げていったのである。
1990年以降は「ポセション」や「ライムライト」といった新しいシリーズが大成功をおさめ、1998年の「ミス・プロトコール」のストラップが交換できるという斬新な仕様はピアジェ・ウォッチの人気をさらに高めた。また、1999年には往年の名モデル「ピアジェ エンペラドール」が復活。2002年にはピアジェ自社製トゥールビヨン・ムーブメント「キャリバー600P」を発表し、厚さ3.5mmの角形トゥールビヨンとして、<薄型>へのこだわりを持つピアジェらしさが世界的にも注目を浴びた。また、薄型のムーブメントでは他の追随を許さないピアジェは、「キャリバー12P」の誕生から50周年にあたる2010年、後継モデルにあたる自動巻き「キャリバー1200P」を発表、ムーブメント厚2.35mm、ケース厚5.25mmと、発売当時世界最薄という2つの記録を新たに樹立した。そして2014年には、ケースとムーブメントを一体化させるという画期的な構造でケース厚3.65mmを実現した「アルティプラノ」アルティメート・マニュアルや、2018年には自動巻きとしてメゾン最薄となる「アルティプラノ」アルティメート・オートマティックを発表し、創業当時から築き上げてきた極薄分野での伝統を今日も守り続けている。
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ジュラ山脈のラ・コート・オ・フェで、1874年農家の一室にジョルジュ=エドワール・ピアジェが開いた時計工房から始まったピアジェの比類ないモデルをご紹介。
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リシュモン ジャパン株式会社
千代田区麹町
0120-73-1874
https://www.piaget.jp
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102-0083
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1-4
リシュモン ジャパン株式会社
ペルレ(PERRELET)
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ペルレの創業は1777年と非常に古く、創業者であるアブラハム・ルイ・ペルレは1770年に世界初の自動巻式の懐中時計を発明した人物だ。ペルレの工房は、ル・ロックルでの創業後時計の他にもペドメーター(歩数計)の開発にも携わっている。また、創業者の孫にあたるルイ・フレデリック・ペルレが開発したスプリットセコンド・クロノグラフは、1830年のサイエンス・アカデミーから金賞を授与され、現在も当時のまま完全な形のものをスイス・ジュネーブにあるパテック・フィリップ博物館で見ることが出来る。
まさに18世紀、19世紀と輝かしい栄光とともに発展したペルレは、その後目立った動きが見られない一方で、創業者の業績に対する尊敬し称える人々に支えられて現在まで【ペルレ】という名は消えずに残った。
そして1995年、新生ペルレとして現代に蘇ったペルレは、ムーブメントを両面2枚で挟む構造のダブルローターを採用した、自動巻の「ディプテロス」をバーゼルフェアで発表し、そのユニークな発想とそれを実現させた技術力が大きな話題を呼んだ。その後もこの機構をベースにしたモデルを数々発表し、現代のペルレらしさを構築していく。
2005年には新たにCEOにアルバート・アーニ氏が就任して経営体制を一新、ブランドの顔である「ダブルローター」のニューデザインモデルや、クロノメーター自動巻トゥールビヨン、スケルトン・クロノグラフ、アラーム、GMT、ペア限定の「ハッピーカップルズ88」など、コレクションの層を厚くした。
2006年には、その誤差が100年にわずか1日という女性向けのハイスペックな「ビッグセントラルルナフェイズ」、1時間単位のプチ・ソヌリと5分単位のファイブミニッツリピーター機能のコンプリケーションやパラジウムケースのジャンピングアワーを、続く2007年には新たな「チタンコレクション」、メンズ向けの「ビッグ セントラル ルナフェイズ」、世界初のレトログラード機能で時を刻む「レギュレーター ウィズ レトログラードアワー」など、意欲的にペルレらしい新作を発表している。
2008年はレディースモデルを拡充させ、「ダイヤモンド フラワー」のように、デザイン性と技術力の高さが新しいペルレの魅力を引き出している。また、「ダブルローター」ではニューカラーとしてチョコレートカラーが登場した。
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“自動巻時計の父”と呼ばれる天才時計師、アブラハム・ルイ・ペルレが創設した、ペルレ(PERRELET)のモデルをご紹介。
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株式会社 RAIDILLON
港区芝公園
03-6555-2830
http://www.perrelet.com/en
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105-0011
東京都
1-3-5
JP-BASE 芝公園 6階
株式会社 RAIDILLON
腕時計
ペキニエ モーレア(PEQUIGNET MOOREA)
クオーツ時計の台頭に伴い伝統的な時計製造業が徐々にすたれていった時代である1973年、時計製造業発祥の地ジュラ山脈のフランス側 モルトーで、エミール・ペキニエ氏が“ペキニエ”を設立しました。16歳で時計製造の世界に入った彼は、類まれな才能をいかんなく発揮し、その大胆な創造性をもって数多くのファッショナブルな時計を生み出し、その結果、レディース ウオッチ部門において5回のカドランドール賞を授与するなど、エレガントな時計として愛されるようになりました。エミール・ペキニエ氏の退任後の新経営者は、ペキニエ社を「フランスを代表するウオッチメーカー」にするために“完全自社ムーヴメントの開発”という大胆な戦略を推し進めます。
2006年ペキニエ社は最新のテクノロジー設備を有する研究室を開設し、素晴らしい才能を持つ時計職人の能力が十分発揮できる体制を整え、2009年には自社ムーヴメントの完成に至り<ペキニエ マニュファクチュール>のブランド名を追加しました。
<ペキニエ モーレア>は、エミール・ペキニエ氏が1984年にプロデュースした彼の代表的なコレクション“モーレア”のデザインまたはコンセプトを継承しています。ペキニエ ウオッチ・オーナーになっていただくためのエントリー ラインでありながらも、「素晴らしいフランス時計製造の伝統を守り続け、その情熱によりクオリティーの高さを約束する。」をテーマとし、実用性とファッション性の両方を兼ね備えたラグジュアリーな時計たちなのです。
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PEQUIGNET MOOREA(ペキニエ モーレア)のモデルをご紹介します。
カリブルヴァンテアン株式会社
中央区築地
03-6206-2333
http://calibre21.jp/
百貨店
専門店
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104‐0045
東京都
6丁目 4-5
シティスクエア築地 8F
カリブルヴァンテアン株式会社
ペキニエ マニュファクチュール(PEQUIGNET MANUFACTURE)
甦ったフレンチ・マニュファクチュール
フランスのモルトーに本社を構え、フランス時計産業の栄光を再び取り戻そうとするのがペキニエ マニュファクチュール。創業は1973年。宝飾デザイナーのエミール・ペキニエより設立された。やがて2004年、ゼニスで「エル・プリメロ」の復活を指揮したディディエ・レイブングットがペキニエ マニュファクチュールの最高経営責任者に就任。彼は祖父シャルルの代にモルトーで時計会社を経営していた家の出身で、ペキニエ マニュファクチュールCEO就任によりマニュファクチュール(自社一貫生産メーカー)の再興を決意。2007年にムーブメント開発に着手し、2009年に初の試作品「EPM01」を発表する。翌2010年には「カリブル ロワイヤル」として正式発表し、“フレンチ・マニュファクチュール”の名乗りを上げた。
一貫生産を実現した自社工房
フランスでは1975年にブザンソンの時計メーカーが機械式時計の製造を終了して以来、久々のマニュファクチュールと言われるペキニエ マニュファクチュール。この工房で働く時計師は、ほとんどが地元出身者だが、その多くは、かつてスイスで働いていた経験を持ち、技術的にも充分なレベルにある。広く明るい工房は、太陽光に近くチラつきのない照明がセットされ、部屋の容積の四倍の空気が毎時流通する最新の空調システムが導入されている。加えて木製のブラインドやソフトな色合いのペキニエ・カラーで統一された特注の作業台などが設置され、心地よく作業が進められる環境が整っている。その印象は、まさに洒脱な“フレンチ・マニュファクチュール”そのものだ。
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1973年にジュラのフランス側モルトーで創業した、現代において唯一のフレンチマニュファクチュールPEQUIGNET MANUFACTURE(ペキニエ マニュファクチュール)のモデルを紹介。
カリブルヴァンテアン株式会社
中央区築地
03-6206-2333
https://www.pequignet.com/
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