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Le monde des créateurs indépendantsジュネーブの新進時計工房「アクリヴィア」による古典美と現代感覚を融合したハイエンドなタイムピース01

15歳で超有名メゾンの見習いに
天賦の才を発揮した異能の時計師

レジェップ・レジェピ

Rexhep Rexhepi
レジェップ・レジェピ

1987年、コソボ生まれ。1998年、父と暮らすためスイス・ジュネーブに移住。15歳で時計学校に通いながらパテックフィリップで実習を開始。卒業後はそのままパテック フィリップに雇用された。20歳で退職しBNBコンセプトに入社。その後、F.P.ジュルヌに移籍し、複雑モデルなどを担当。2012年、独立してジュネーブ旧市街に時計工房「アクリヴィア(AKRIVIA)」を設立。独自の時計を開発・製造を開始した。

 時計の名店「アワーグラス銀座店」が取扱いを開始したジュネーブの独立系時計ブランド「アクリヴィア(AKRIVIA)」。その創業者にして代表である時計師レジェップ・レジェピさんに工房設立から最新作開発までの経緯を伺った。

 そもそもレジェピさんが自分の時計を作ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?


「私は1987年、コソボに生まれ、父は1976年からずっとスイスで仕事をしていました。ですから私達兄弟は、コソボにいて祖母の手で育てられたのです。

 もちろん時折、父がコソボに戻ってくることがあり、そんな時は、いつもスイスの時計を身につけていました。あれはたしか7歳か8歳のころだったと思うのですが、父が帰ってくると、私は上着のポケットを探って、『今日は何を持ってきたの?』と興味津々で父に尋ねたことがありました。それは懐中時計だったので、その時計をちょっと拝借してチックタックという音を聞いたのです。これは中に何か入っているに違いないと思った私は、なんとかして蓋を開けて中を見ようと試みました。しかし結局、それはうまくいかず、傷をつけてしまいました。それが私の心の中の情景として、ずっと頭の中にあったのです。

 やがて1998年にコソボで紛争が起き、私たちは父のいるスイスに行くことになったのです。そしてスイスの空港についた途端、あらゆる壁に非常に多くの時計のポスターが貼ってあるを見て、私は理解したのです『僕は時計の国にやってきたんだ!』とね。

 ならば、この時計の国に来たんだから、あのときの時計の中に何が入っているのかがわかるんじゃないか、とも思い、時計に興味を持つようになったのです。

 しかし、当時の私はスイスに溶け込まなければならないのに言葉もわからず友人もいなかったので、本を読むことで時計について理解するようになっていきました」


有名工房を渡り歩いて独立し
自らの工房を設立して夢の実現へ

「アクリヴィア」を代表するモデルであり最新作の『クロノメトル コンテンポラン II』

「アクリヴィア」を代表するモデルであり最新作の『レジェップ・レジェピ クロノメトル コンテンポラン II』。プラチナ製ケースとグランフーという高温焼成による本物のブラック・エナメル(七宝)製ダイアルを装備。表示は時・分・秒と極めてシンプルだが、秒針はステップを刻むデッドビートセコンドとなっている。

 それで時計師を目指したのですね?


「ええ。スイスでは時計師になるため、時計学校に入って基礎から学ぶ方法のほかに、週に2日間は時計学校で勉強し、3日間は時計会社で実習するという方法もあります。そこで私は企業で研修しながら学校に行く方法を選びました。その時計会社がパテック フィリップです」


 研修期間終了後は?


「そのままパテック フィリップに入社しました。パテック フィリップでは見習い期間として3年。その後、2年間働きましたが、この頃、私にひとつの思いが芽生えたのです。それは『ある日、独立して時計を作りたい』ということ。その実現のため、時計作りのさまざまな職種を学んでいこうと考え、2007年に独立時計製造会社の「BNBコンセプト」(注)に入りました。私はそこで21歳で15人の職人を指導する立場になりました」


 21歳で15人の職人を指導するとは相当に優秀だったとわかる。

「その後、私はBNBからF.P.ジュルヌの工房に移りました。ここでは『クロノメーター スヴラン』などを担当し、時計師として、とても恵まれていましたし、私を極めて迅速に成長させてくれたのです」


 パテック フィリップ、BNBコンセプトを経てF.P.ジュルヌという輝かしい経歴を持つ時計師レジェップ・レジェピさんだが、2012年、彼は16歳の時からいだき続けてきた夢の実現のため、独立時計工房「アクリヴィア(AKRIVIA)」を設立し、いよいよ“自分の時計”の製造へと進んだのだ。

※注
「BNBコンセプト」はエンリマ・バルバシーニ、ミッシェル・ナヴァス、マティアス・ビュッテという凄腕の時計技師3人により2004年に設立された時計工房。「BNB」とは3人のイニシアル。ウブロやド・ヴィットなど高級複雑時計の開発と製造を担当。工房はその後、ウブロに吸収されたが、創業者3人はそれぞれ別の道を歩み、現在も有名メゾンの特別モデルを手掛けるなど活躍を続けている。


『クロノメトル コンテンポラン II』のムーブメントは美しさを追求するため左右対称のデザインを採用

『レジェップ・レジェピ クロノメトル コンテンポラン II』のムーブメントは美しさを追求するため左右対称のデザインを採用。やや幅広なコート・ド・ジュネーブ仕上げがブリッジに施され、地板には隙間なくペルラージュ装飾が施されている。ブリッジ形状もあえて複雑にし、手作業が必須な入り角(内側に切り込んだコーナー)がいくつも設けられている。

 2012年に独立し、ジュネーブ市内に自らの工房を立ち上げたレジェップ・レジェピさん。その最初の作品は工房設立の翌年(2013年)に発表されたが、そこに待っていたのは思いもよらぬ結果だった。


「工房を立ち上げ、2013年に最初の時計を発表したら、きっと大勢の愛好家がやってきて買ってくれると思っていました。しかし、そうはいかなかったんです」


 その最初の時計とはモノプッシャー・クロノグラフ・トゥールビヨンの『AK-01』だ。


「なぜクロノグラフ・トゥールビヨンかといえば、それは私が16~17歳のころ、パテック フィリップの『10デイズ・トゥールビヨン』に魅惑され、『なんて凄い時計なんだ』と思ったことに由来します。私は心に決めたのです、『いつの日か、どんなことがあっても絶対にトゥールビヨンを作ろう』ってね。

 そして、私にとっての複雑機構はクロノグラフが一番。だからクロノグラフ・トゥールビヨンは理想的なモデルです。

 この時計を作ることで、私がどの程度の技量を持っているかを見せられると考えました。しっかりとしたメカニズム、そしてパワフルなデザイン・・・」


 だが彼の思いは簡単には届かなかった。簡単にいえばそのモデルは売れなかったのだ。


「売れなかった理由? 当時、私もそれを凄く考えました。時計コレクターなら時計のためにいくらでもお金がつぎ込めるのに『なんで売れないんだ!』ってね。

 でも、あっという間に理解しました。たった25歳の若者にコレクターがどうやって信頼を置けるのかということ。私は皆さんが信頼できる時計を作らなければならないのです。それによって、私が時計に本当に情熱のある人間だと理解してもらわなけらばならないんです。この時期があったことで私はより強くなり、頑張って戦おうと決意できました。

 でも、自分は夢見る人間であることを受け入れて楽しんでいる部分もあります。そして、規律を守り、夢を忘れず、ほんのちょっと才能があれば、必ずや何人かの心を捕らえることができると思うのです」



INFORMATION

アクリヴィア(AKRIVIA)についてのお問合せは・・・

アワーグラス銀座店
〒104-0061 東京都中央区銀座5-4-6ロイヤルクリスタル銀座1F
TEL: 03-5537-7888


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