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GIRARD-PERREGAUX始まりの地、時計都市ラ・ショー・ド・フォン

La Chaux-de-Fonds
始まりの地、時計都市ラ・ショー・ド・フォン

街区に合わせて建物が建っているので、街並みがすっきりとしている。

街区に合わせて建物が建っているので、街並みがすっきりとしている。

La Chaux-de-Fonds
始まりの地、時計都市ラ・ショー・ド・フォン

  現在、ジラール・ペルゴが拠点を構えているのは、スイス北部の標高1000mを超える山間部に広がる街ラ・ショー・ド・フォン。ここは世界中の時計愛好家に知られる“時計の帝都”である。


  この地で本格的に時計産業が始まったのは18世紀の初め頃とされている。時計大国フランスで時計産業に従事していたユグノー(プロテスタント教徒)が、宗教的迫害を恐れて国を離れて国境に近くフランス語が通じるラ・ショー・ド・フォン界隈に移住してきたのがきっかけとなり、時計産業が根付き始める。さらには機械式時計の需要増に対応できなくなったジュネーブの大メーカーたちが、パーツ製造の外注先として山間部の農村を選んだのも功を奏した。


  ラ・ショー・ド・フォンは時計パーツの外注によって大いに潤い、さらにはその中からは時計メーカーを立ち上げる起業家も現れ始めた。しかし人口が急増したことで住環境が悪化。さらには1794年に大火災が発生して街の多くが焼失してしまう。そこでラ・ショー・ド・フォンの人々は都市計画を見直し、人口の1/3が従事していた時計産業のための都市を作ることにした。


  都市計画で最も大切だったのは、時計工房に太陽光をたくさん取り入れること。そのため街の南斜面に碁盤の目状に街区を作り、南側には必ず庭を設けることで部屋の奥まで光が届くようにした。しかも建物の高さは、一年で最も日が短くなる冬至に合わせて設計されていた。このように特定の産業合わせて都市計画を行うというのは、他には類を見ないことだった。多くの学者や知識人がこの街を視察に訪れ、マルクス主義で知られるカール・マルクスは「ここは工場都市だ!」と感動したという。


  ラ・ショー・ド・フォンは人件費が安いため、多くの時計メーカーが工場を作り、全盛期にはスイス時計の約半数を製造していたという。現在も多くの時計メーカーやサプライやーが拠点を構えるが、ジラール・ペルゴもその一つ。1852年にラ・ショー・ド・フォンの工房を本格稼働させており、以来この地で時計を作り続けている。


  ここは時計の天才たちが集結する時計都市だ。最先端の時計を作る環境として、これ以上適した場所はないのである。



構成・文:篠田哲生 / Composition&Text:Tetsuo Shinoda
写真・動画:江藤義典 / Photos&Movie:Yoshinori Eto


GIRARD-PERREGAUX(ジラール・ペルゴ) についてのお問合せは……
ソーウインド ジャパン株式会社
〒102-0093 東京都千代田区平河町2-2-1 平河町共和ビル3F
TEL: 03-5211-1791  FAX:03-5211-1799
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